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初代谷澤禎三、日本橋川上藤兵衛に師事し、タニザワの母体を築く。
上野で第一回内国勧業博覧会が開かれた。この時、谷澤禎三が出品したかばんが受賞、その賞状には「提嚢」としるされていた、そこで谷澤禎三は関係者と協議のうえこれまで使われてきたかばんにたいする名称の一つであった革包「かくほう」の文字を横に並べて「鞄」をカバンと読ませる事を提案した。
銀座に店を構える 禎三が考案したといわれる「鞄(かばん)」の文字を看板に掲げたところ、 これが銀座をお通りになった明治天皇のお目にとまり、侍従職を通し「何と読むか?」との御質問を受ける。 これをきっかけに「鞄」の字が全国に広まったと伝えられている。
日清戦争で皮革が統制品になると、革の代わりに海外から入ってくる絨毯で「絨毯鞄」を創案し、これが多くの人達に受け入れられて、大変に好評で当時のファッションとなり、画期的なこととして今も伝えられています。
ネオンサインを日本国内での最初の設置 ネオンサインが、日本にはじめて出現したのは、1918年(大正7年)である。店頭に、長さ3mのネオン管(1mの長さの赤色ネオン直管3本を、シリーズにつないだもの)
二代目甲七、店主となる。
株式会社谷澤鞄店に改組。甲七、社長に就任。
ダレスバッグ第一号発売。1951年、アメリカの平和使節団の一員として日本を訪れたジョン・F・ダレス氏が持っていたバッグにヒントを得て、 タニザワが「Symbol of peace」のキャッチフレーズで売り出した鞄が「ダレスバッグ」の最初です。
上皇陛下(当時皇太子)が英国のエリザベス女王の戴冠式に出席する折に鞄一式を宮内庁に納入
甲七、産業功労者として表彰される。
上皇陛下(当時皇太子)御成婚時、鞄一式宮内庁に納入。 上皇陛下御成婚と外国御訪問の折には、両陛下をはじめ御一行の方々の鞄をおつくりしました。 現在でもオリジナルの海外旅行鞄として同型の品を販売しており、若い人にも人気があります。
甲七、勲五等瑞宝章受章。
三代目鋭一、社長就任。
創業100周年。株式会社銀座タニザワとする。
四代目信一、社長就任。
創業120周年120Anniversary記念の鞄を発売。
2月、銀座本店全面新装開店。
創業130周年
創業140周年
創業145周年145Anniversary記念の鞄を発売。
元号が平成から令和になる。
本革の高級鞄を購入するなら【銀座タニザワ】